第6回(2013年4月10日掲載)
4月1日をもって、開業10周年を迎えました。
病院に勤務していたころは、病気は「敵」であり、患者さんの死は医者の「敗北」と考えていました。医療とは病気と闘う事でした。大学病院勤務の時はもちろんですが、最後の勤務先となる二つの病院では自分の患者さんの治療責任を負い、24時間オンコールの状態で疲労困憊した時期もありました。
医療の役割として病気と闘うことはもちろん重要です。5年前の私のクモ膜下出血も、2年前の妻の津波肺も、いずれも医療の介入を受け死を免れました。しかし生きている限り人にはいずれ死は訪れます。医療を「闘い」、死を「敗北」としてとらえるならば、医者は連戦連敗で無力な存在というしかありません。
勤務医は主に入院患者を診るので、病気を主体として考えます。軽快退院は病気を押さえつけるので「小さな勝利」の快感を味わえます。一方開業医は一人の患者を外来で長いスパンで診ることになるので、患者さん自身や患者さんの生活を主体として考えるようになります。この10年間、当初は元気だったお年寄りもさらに老いて、足腰が立たなくなったり、認知症が進行したり、一人一人亡くなっていくのを見てきました。当たり前のことですが、開業当初80歳代前半だった患者さんは今はほとんど亡くなっています。
医療が「闘う」ものであれば、開業医が「小さな勝利」の果実も得られません。
「風邪を治してくれた」と患者さんは言ってくれますが、所詮は self-limited な疾患に過ぎません。一人一人亡くなることで連戦連敗を実感するしかありません。
勤務医より患者さんの実生活に近いところにいる分、開業には日常の患者さんを支えること、弱った患者さんに寄り添うことが求められているのではないでしょうか。
10年間で得たのは、医療とは「闘う」ばかりのものではなく「寄り添うこと、支えること」も重要な役割だと分かったことかもしれません。
体力的な制約もあって本格的な在宅医療に踏み切れませんが、3.11津波の後3件の死亡診断書を書きました。いずれも100歳近いお婆さんでした。私が看取りを引き受けたために、「婆ちゃんは自宅で大往生が出来た」と家族は言ってくれました。クモ膜下出血で倒れる前は定期的に往診する患者さんを数軒抱えた時期もありました。
患者さんの悩みを聞いて、診察室で泣かれたことも少なからずあります。何か気の利いたことを言えるわけではないのですが、悩みを聞いてあげること自体に意味があると思っています。多少お役に立てたと自負しています。
闘う医療はもちろん必要ですが、寄り添う医療も同じくらい大事なのだ。10年という歳月はそんなことを私に教えてくれました。