第3回(2010年11月22日掲載)
平成20年1月に私がクモ膜下出血で倒れてから早3年になろうとしている。
後遺症にも悩まされず何とか復職できたのは、勿論主治医団の尽力や家族の献身によるところが大きい。
しかし自分はひょっとしたら死んでいたかもしれない。人間以外の大きな意思(天なのか神仏なのか?)が働いて生きながらえているのではないかと思うことがある。「助かったのは天命である」などと言ってみる。すると周囲に誤解されることが多い。他人にとっては「そんな大袈裟な!」とか「偉そうに!」という感じだろう。親戚の者になると「天命って・・・」と絶句して「そこまで考えるな。今まで以上に働くな、無理するな」と言ってくれる。
私にしてみれば、そんな大上段に構えて天命云々と言っているわけではない。発症直後の経緯を思い返してみる。すると、幸運が重なった、天に生かされた、としか思えないのだ。
クモ膜下出血は医療が介在しなければ確実に死ぬ病気である。いち早く見つけてもらうことが大事だ。3年前の寒い日の午後、私は自宅近くの路上でロードバイクを漕いでいる最中に、激しい頭痛を覚えた。これ以上漕いだら危険だと感じた。自らロードバイクから降り路肩に横たわった。助けを求める間もなく意識レベルが低下した。気づいたら、近所の人たちや通りかかった車の人たちに介抱されていた。ほどなく救急車で搬送された。
もし自宅で発症していたらどうだろう。私は自室ベッドで寝る事を選んだだろう。その時家族は居なかったなら、発見された時は死体になっていただろう。家族が居ても、寝ているものとして暫くは放っておかれただろう。
車の運転中で発症したらどうだろう。事故を起こしたかもしれない。40年前、私の祖父は運転中にクモ膜下出血を発症した。その時は道路に面した家屋の壁に車ごと激突した。通行人が居なかったのが不幸中の幸いだった。
学会や宴会など出先で発症したらどうだろう。自分で「クモ膜下だ」と診断する余裕はない。むしろ「大ごとにならなければ良い」と言う心理が働きトイレに籠もってしまうのではないか。これでも手遅れだ。
私のクモ膜下出血は白昼の人家近くの路上で発症した。もっとも見つかりやすい状況であった。しかも近所であったため私の素性もすぐ判明した。脳外科の先生に適切な手術をしてもらった。
プロ野球のジャイアンツのコーチがクモ膜下出血で亡くなった。彼も私と同じように白昼公衆の面前で倒れた。彼に天命はなかった、などと言う気はさらさらない。
私も急性期の手術のあと、生命の危機に再三曝された。生死はさておき、復職を諦めた時期もあった。春のきざしが見えてきたある日の午後であった。半ば唐突に復活の狼煙が上がった。夕方回診に来てくれた主治医は「想定内だ」と強がりながらも、「神様は居るのかもしれない」と泣いて喜んでくれた。 二ヶ月間重く立ち込めていた霧は、その狼煙によって追い払われたのだった。
神様は居るのかもしれない。少なくとも「お前の仕事はまだまだだ」とこの世に生き残されたのが、私に対する天命ということであろう。